弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「最晩年の西行~最後まで武家の気概を保ったたくましい生き様~」(4)

西行は、この奥州への旅の途中に、最高傑作とされる歌を2首残しています。西行自身も、傑作と自選していたようです。 東の方へ修行し侍りけるに、富士の山を詠める歌。 風になびく富士の煙の空にきえて 行方も知らぬ我が思ひかな 「煙の空に消えてゆくようにあてどもなく、我が心につぎつぎに思いが湧いては消えてゆく」。仏教では、排除すべき…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「最晩年の西行~最後まで武家の気概を保ったたくましい生き様~」(3)

二つ目の逸話は、西行が69歳の時に、平氏に焼かれた大仏殿再興に奔走する重源上人に頼まれ、平泉の藤原秀衡が約束した砂金の提供を督促するために、奥州に旅立ちました。その途中で西行は、征夷大将軍源頼朝(1147年―1199年)に対面しています。『吾妻鏡』の1186年8月15日の記述によれば、頼朝公が、鶴岡宮に御参詣すると、一人の老僧が鳥居の辺…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「最晩年の西行~最後まで武家の気概を保ったたくましい生き様~」(2)

その西行の晩年の姿を彷彿とさせる二つの逸話が有名です。まずは、高雄山神護寺の中興の祖として知られる文覚上人(1139年-1203年)との出会いをめぐる話です。文覚は、21歳年下ですが、西行と同様に北面の武士の出身で、19歳で出家しています。文覚の寄進の要請にこたえて、1184年頃に後白河法皇や頼朝によって荘園が寄進され、荒廃していた神護…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「最晩年の西行~最後まで武家の気概を保ったたくましい生き様~」(1)

お元気ですか? 今回は、晩年の西行の生き様についてです。西行(1118年-1190年)は、23歳で出家するまでは、鳥羽院に仕える北面の武士、出家後は僧形の歌人として、生涯を送りました。出家後は、京都を離れることなく、鞍馬寺に身を寄せたり、東山に寄住したり、24歳の時には嵯峨に草庵を結んだりしていました。1145年に鳥羽院に…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「たわぶれ歌に見る、最晩年の西行」(8)

西行が生きていた平安時代の仏教は、鎌倉時代になって法然や親鸞があらわれる以前の宗教で、天台宗や真言宗の浄土信仰です。平安末期には、保元・平治の乱など戦乱で世相が乱れ、この世を穢土として厭離させ、極楽浄土を希求する、地獄思想が流布していました。 地獄思想では、この世のなかでふるまった人間の行為の大半は、ひとりでに穢れ(けがれ)になり…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「たわぶれ歌に見る、最晩年の西行」(7)

ぬなは這う池に沈める立石の 立てたることもなき汀かな 「ぬなは」は、ジュンサイの古語です。「ジュンサイが茂っているような古池に、庭などに飾り立てるべき立派な立石ではあるが、今は荒廃して役立たずになって、池の水際に沈んでしまっている」というのが、直接的な歌の意味です。それで、立石は何を象徴しているのかで、専門家の解釈が分かれています…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「たわぶれ歌に見る、最晩年の西行」(6)

石なごの たま落ちくるほどなさに 過ぐる月日は変りやはする 石なごは、石を軽く投げ上げて、落ちてくる間に他の石をとるお手玉遊びです。過ぎ行く月日の速さは、お手玉の玉が落ちてくる束の間のような速さと、なんの変わりがあろうか?石なご遊びの時間感覚をきっかけに、歌は、西行の老境の心境告白と、自己評価に移行して行きます。次の二つの歌も含め…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「たわぶれ歌に見る、最晩年の西行」(5)

恋しきを戯(たわむれ)られしそのかみの いはけなかりし 折りの心は まだ幼かった昔、恋しい純情な想いをやっとうちあけたのに、年上の女の子に軽くはぐらかされた。その切ない思い出を、幼年時代の女性への恋慕とともに、甘酸っぱく詠っています。西行が幼い頃から異性に興味を持っていた、いわゆる「おませな子」であったを伺わせます。そう思ってみる…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「たわぶれ歌に見る、最晩年の西行」(4)

我もさぞ 庭の砂子の土遊び さて生ひ立てる身にこそありけれ 今幼い子供どもたちがしている砂場の土遊びは、私もしていたので、その幼いころの昔が懐かしい。そのようにして成長してきた自分だもの。 高雄寺 あはれなりける勤めかな やすらひ花と鼓(つづみ)打つなり 当時は、高雄の神護寺では、毎年3月10日に法華会がありました。笛…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「たわぶれ歌に見る、最晩年の西行」(3)

昔かな 炒り粉かけとか せしことよ あこめの袖に玉襷(たまだすき)して 麦笛に続いて、大麦の炒り粉が登場します。炒り粉は、関西では「はったい粉」と呼ばれ、大麦や裸麦を炒って、臼で挽いて粉にしたものです。これは、西行が、目の前の子どものままごと遊びを見て、昔の自分の幼い頃の、ままごと遊びの情景を思い出した歌でしょう。幼い西行が、女の…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「たわぶれ歌に見る、最晩年の西行」(2)

西行の陸奥の旅の目的は、東大寺の大仏再建で必要な砂金勧進を督促するために、平泉の藤原秀衡に会うことでした。西行がこの旅に出る前年、つまり文治元年(1185年)8月に、平家に焼かれた大仏が再建され、開眼供養が行われています。そのとき、大仏の全身を覆う鍍金ができていなかったため、藤原秀衡に金の貢献を督促する必要がありました。 さて、西…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「たわぶれ歌に見る、最晩年の西行」(1)

お元気ですか? ウイルス籠りの日々、三食喰らって規則正しい生活リズムを繰り返えしていると、モノへの関心が薄れます。モノ離れすると、モノが介入しない自然や内面の心の動きに関心が移ります。春の夕靄に包まれて、そよ風に揺れる色とりどりの青葉若葉をめぐるこの時期の散歩は、至福の時間です。花を愛し、自然のただなかに隠遁生活した西行の生き…

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