弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その2」(8)

清明が持つ、原因を特定し、それを解消する手段を示し、それがなぜ問題解決につながるのか悩める人を納得させる因果関係の論理を作る能力が卓越して、人を救っていたように思います。清明の鬼払いや厄払いの論理は、カウンセラーとして、「葛藤し悩める精神をなだめ、禊ができる物語を作り与える能力」であったと思われます。 清明の学識と人生経験が、作り…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その2」(7)

例えば、激しい天候異変や、落雷などの天災は、陰陽五行思想では、統治する天皇の不徳が原因とされ、天皇の心に大きな重圧を与えます。それを、当時の清明は、天変地異の原因は、「菅原道真の霊の祟りである」と原因を特定し、その解決法として、北野天満宮の祭礼の強化や、死後の道真に高い官位を送る、子孫を厚遇するなどの問題解決策を提示します。それを実行し…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その2」(6)

さて、安倍清明は、960年に、40歳でやっと天文得業生(天文博士から天文道を学ぶ学生職)に就き、村上天皇から占いを命じられるようになりました。そして、50歳ごろには、天文博士に任ぜられます。さらに、977年に陰陽寮を牛耳っていた賀茂保憲が亡くなった57歳頃から頭角を現しました。979年に59 歳の清明は、花山天皇が皇太子の頃から信頼を…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その2」(5)

陰陽寮の「正式な陰陽師」においてもこの風潮に流される者が続出し、そのふるまいは本来律令の定める職掌倫理からはるかにかけ離れていました。方位や星巡りの吉凶を恣意的に吹き込むことによって、陰陽師は、天皇・皇族や、公卿・公家諸家の私生活における行動管理にまで入り込んでいました。朝廷中核の精神世界を支配し始めて、次第に官制に基づく正規の陰陽師の…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その2」(4)

さらにこの時期は、外部世界の騒乱に加えて、約20年間天皇中心の親政を続けた村上天皇が967年に崩御すると、陰謀と策略をめぐらした、宮廷内の権力闘争が始まりました。まずは、藤原氏と天皇の親族たちの間で、天皇の後継者擁立を巡って、権力闘争が始まりました。それが一段落すると、後継者争いに勝ち抜いた藤原氏の同族間で、やはり摂関政治を牛耳り、要職…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その2」(3)

陰陽師は、天体を細かく観測し、宋の最新の陰陽五行説や暦学も取り入れながら、日食を予言し、日常の吉凶を占っていました。網野善彦著「日本社会の歴史」によると、当時貴族社会では、宮中の年中行事を、自然の運航とかかわるものとみなしていました。そして、年中行事を支障なく、例年のしきたり通りに運営することこそが、自然の運航を乱さず、社会の異変を招か…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その2」(2)

a> さて、前回に続いて、安倍晴明です。10世紀当時の政府は、うち続く政治的経済的混乱を鎮めるため、平安を願って石清水八幡宮で大規模なお祭りを行い、加茂神社には天皇が行幸して祈願しました。その後、これらの行事を、重要な年中行事にしていきました。また、903年に、讒言によって大宰府に左遷され、亡くなった菅原道真の怨霊が、依然として…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その2」(1)

お元気ですか? 今年の正月は、亡き義母の喪中の忌引き期間にあたりましたので、年始の祝い事を一切避けて、西伊豆と箱根に旅して過ごしました。西伊豆は、かって炭焼きの原料とするために植林された椎の木やウバメガシに加えて、藪椿やカナメモチなど常緑広葉樹の雑木林が、山と海岸の崖を覆います。照葉樹は光を反射するので、どこをドライブしても、…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その1」(6)

清明は驚いて忠行を起こしてその旨を告げると、忠行は、目を覚まし、鬼が来るのを見るや、法術を使って、たちまち自分も供の者も安全なように姿を隠してしまい、その場を無事に通り抜けました。「お前には、常人には見えない百鬼夜行がみえるのか?」と、清明のその才能を見抜き、その後、忠行は、陰陽道を、瓶の水を他の容器に注ぎ入れるように残らず、清明に教え…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その1」(5)

清明が生きた10世紀には、政治の混乱に伴い、政府の統治能力が低下したため、社会的騒乱のみならず、様々な疫病や自然災害が発生しています。「日本史年表」を見ると、京都周辺をはじめ、全国各地で騒乱が起きて、群盗が横行し、政府が対応に追われている様子が伺えます。また、人災に加えて、915年に疱瘡、923年には咳の病、930年には疫病、947年に…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その1」(4)

清明は、過去に起こった天候異変や宮廷内における様々な年中行事の有職故実に通じ、政治に絡いだ宮廷内の権力闘争や人間関係の経緯に精通していました。直面する問題の因果関係を理解し、解決手段を探し出す能力や説得力が、卓越していたと考えられます。清明の洞察力や発想は、当時、平均寿命とみられる30歳代で寿命を終えていた人生経験の乏しい人々にとっては…

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弁護士山内良治 兄からのサンデイ毎日「陰陽師安倍晴明 鬼がいる平安中期の時代背景と占いの論理 その1」(3)

さて、その清明には、映画にもなったように、様々な逸話や伝説が残っています。「理屈に合わない話だ」と、その真偽を問うのではなく、「なぜそのような伝説が、大切に残されてきたのか?」を考えると、当時の時代背景が理解できるように思います。清明に求められた霊力とは何なのか?なぜ、死後、一条天皇に、壮大な神社を立てさせるほど厚遇されたのか?興味を持…

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